日本の伝統文化の一つである和傘は、かつて庶民の暮らしになくてはならないものでした。今ではなかなか見ることができない和傘作りですが、大分県中津市では、その風景が今でも息づいています。
中津和傘のはじまりは江戸時代に遡ります。城下町として栄えていた中津ですが、財政難であった藩が、特産品奨励政策として傘の原料である竹や和紙、柿渋などを地元で調達できることに目をつけ、和傘の製造を始めました。
幕末には、武士の内職として、和傘製造はさらに広がっていきました。「傘は人の頭の上にさすものであるから卑しい仕事に非ず」と、武士としての気品を保ちながら、貧しい生活を乗り越えたとされています。
昭和初期には、約70軒もの和傘屋が存在した中津でしたが、洋傘の普及とともに全国の和傘屋と同様に衰退、遂には、九州で唯一となった中津の和傘屋も平成15年に途絶えてしまいました。
中津和傘が長い間、息づいてきた証として、中津市相原の鶴市神社に伝わる「中津鶴市花笠鉾(ぼこ)祭り」(県指定無形民俗文化財)があります。色鮮やかに飾られた花傘鉾が囃子にのって、のどかな青田の中を行列する姿は今でも変わらない夏の風物詩となっています。
この祭りを幼い頃から見て育った今吉次郎さんは、「この土地に根付いた大切な伝統の消滅は、地域の祭り、しいてはまちの活気の失いを意味するものだと危機感を抱いた」と言われます。そして、伝統美の復活のために、有志と共に和傘工房「朱夏(しゅか)」を平成17年に立ち上げました。
しかし、一旦途絶えてしまった町のシンボル、和傘工芸の伝統の復活までには様々な困難が待ち受けていました。技術を継承できる職人がいなかったことから、今吉さんは自ら番傘をばらして傘の仕組みを研究し、1年間、試行錯誤を繰り返したそうです。
和傘離れの時代の中、中津和傘は新たな進化を遂げ始めています。傘の技術を使ったあんどんやランプシャードを発案。また、和紙の種類を変更し、洋柄を取り入れるなど、和装ではなくジーンズ姿等でも身につけられるオシャレ感覚の日傘作り、現在の生活スタイルにあった商品作りを始めています。
今では、全国からの発注を受け、4人の職人が作業に追われる毎日です。地域の伝統を守ると同時に、新たな和傘の出番を生み出し中津和傘を通じてまちの活性化に繋げたい。今吉さんを始め職人の方々の中津和傘への夢と情熱はつきません。
ぜひ、職人の手により丹念に一本一本丁寧に作られた竹と和紙が織り成す繊細で優美な作品をお楽しみください。
○お問い合わせ先
和傘工房 朱夏
電 話:0979−23−1820
FAX:0979−23−1820
住 所:〒871−0066 大分県中津市鷹匠町901−1
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1本製造期間2〜3ヶ月 全て手作業で作られる中津和傘
綺麗な竹の骨組みと和紙の色合い
糸で竹を一本一本繋ぐ細かい骨組み作業
柄にそって均等に整えるまくわり作業
直径約2mの巨大和傘
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