イチジクは漢字で「無花果」と書きますが、花がないわけではなく、果実の中に無数の小さな花を咲かせています。一つの節に一つの果実がつき、それが一日一個熟すことから「一熟」となり、イチジクの名前の由来になったという説もあります。
今回は、イチジクの出荷時期を控える大分市田ノ浦地区をJAおおいた大分事業部の阿南さんの案内により訪問してきました。
田ノ浦地区は、大分市と別府市の両市街地の中間に位置し、別府湾を一望できる地域です。付近には国立公園高崎山自然動物園や大分マリーンパレス水族館「うみたまご」、田ノ浦ビーチなどのレジャースポットがあり、一年を通して賑わっています。
数多くあるイチジクの品種の中で、大分市では「マスイドーフィン」と「ホウライシ」の2つが主に栽培され、田ノ浦地区はホウライシの主産地です。現在、田ノ浦地区の生産者は9名で、ホウライシは年間約3トンを生産しています。JAおおいた大分事業部ホウライシ部会長の安部健二さんのお話では、果実の中でも特にイチジクは気候の影響を受けやすく、台風等で枝葉が果実に触れて傷が付くと商品化できないため、この時期は常に天候が気になるそうです。
イチジクの特徴は、食物繊維やタンパク質分解酵素を多く含み、便秘解消や肉・魚の消化促進に効果があるといわれています。実が全体に赤紫色に色づき、少し割れた時が食べ頃とのこと。
坐来大分では8月中旬からのメニューで「咲き付け三種」の中で今が旬の大分市のイチジクを使用しています。是非ご堪能ください。
■JAおおいた大分事業部
〒870-0854 大分市大字羽屋600番地の10
TEL:097-546-1115 FAX 097-545-1144
〈伝承料理研究家 金丸 佐佑子さんのお話〉
中学生の時でした。友人等との雑談の中で難解な漢字の話で盛り上がりました。「紫陽花、馬酔木、枇杷、木耳、土筆、木通、無花果・・・等々。」その時、その中の一つ「無花果」が読めなかったのです。仲間内では文学少女で通っていましたし、雑学や国語には自信を持っていた私が読めないなんて。子供心にも大いにプライドが傷付きました。六十年以上経った今でも鮮明に思い出すのですから。
当時、私の周りでは「無花果」のことを「とうがき」と呼んでいました。ご近所さんの庭先に大きな「とうがき」の木があり、毎年お裾分けが届きました。採りたての「とうがき」は白い乳汁が出ており、更に味も独特。私好みではありませんでしたから「とうがき」は当時の私の生活から遠いものでした。
ところが気付いたらいつの間にか好物の一つになっていました。もう「とうがき」ではなく「無花果」の世界です。品種の変化、それとも加齢による嗜好の変化、加工や料理をする楽しさを覚えたせい。諸々の条件が重なったのでしょう。旬になると食べなければならない食材の一つです。
「無花果」の私流の楽しみ方を紹介いたします。
先ずは生食。おいしい。
次にジャム、プリザーブ。シナモンを効かせたものが大好き。
洋酒をいろいろ変えてシロップで炊く。友人に振る舞うにはこれが一番。話題性に富み、その場が盛り上がります。
更にフリッターや天ぷら、白和え。食事会では珍しいと喜んでくれること受けあいです。
そして食後のデザートには姿のままの「無花果」のシャーベット。沢山いただいた時などは皮をむいて中心に蜂蜜を少々のせて冷凍庫へ。生産農家の方に以前教わった料理です。
目下の私が一番好きなのは生食と甘露煮。甘露煮はうらなりの「無花果」をゆでこぼした後、砂糖で割としっかり炊く。それだけです。保存もききますし、甘露煮そのものをお茶うけとしてもケーキの飾り付けにも応用できます。ところが困ったことにうらなりの「無花果」が手に入らないのです。いただき物や店頭に並んでいるものは立派なものばかりです。世代交代した住宅の庭には「とうがき」はありません。六十年前「とうがき」をお裾分けして下さったお宅も現代風の住宅になりました。私も思いあまって「無花果」を二本植えたのですが、手入れ不足だったのでしょう、消えてしまいました。うらなり「無花果」がこんなに貴重なものとは。今年も頑張って伝手を頼って手に入れるつもりです。
先日、行きつけの美容院でうらなりの青い小さな「無花果」をいただきました。ところが、うらなりではなく青い皮のついたままをいただくとのこと。初めて食べる「無花果」。なかなか美味でした。品種改良も進み、私共の知らないところで美味しい「無花果」が沢山出来ているのでしょうね。もう少し丁寧に食べる価値のある果物ですね。
総合監修
生活工房゛とうがらし˝金丸佐佑子(平成27年8月)
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出荷を控えた田ノ浦イチジク
(同上)
イチジクの木
イチジク畑
生産者の皆さん
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